英語達人としての嘉納治五郎師範
斎藤兆史
講道館の機関誌に嘉納治五郎師範についての拙文を寄せるなど、誠に恐れ多いことである。執筆依頼の文面を前に、思わず背筋が伸びた。拙著『英語達人列伝Ⅱ』で嘉納師範を英語達人として論じたことで、このご縁に恵まれたようだ。しかも、ご連絡を頂戴した際、植芝守央合気道道主の著書の英訳をしている最中であり、偶然にも嘉納師範と植芝盛平合気道開祖との出会いを論じた一節に差し掛かったところであり、これはもうお引き受けするしかないと肚を決めた。
私は、昨年定年を迎えるまで、30年以上東京大学の英語教育に関わってきた。学部の前期課程では英語を教え、後期課程と大学院では英文学や英語文体論を教えた。学内異動で大学院教育学研究科・教育学部に移ってからは、英語学習・教育に関する研究と教育に従事してきた。また、令和2年から2年間は、教育学部附属中等教育学校長を兼務した。偉大なる教育者である嘉納師範の「なにくそ」精神を見習ってコロナ禍の学校運営に務めた。
また、柔道の父としての嘉納師範に対しても尊敬の念を抱いてきた。私は40の手習いで合気道の門を叩いて以来、四半世紀ほど細々と稽古を続けてきた。合気道道主や本部道場長の著作の英訳を任されたのも、その縁によるものである。そして合気道の世界でも、日本武道界における嘉納師範の功績は大いに評価されている。だが、英語を専門としながら、師範の英語については盲点になっていた。
拙著『英語達人列伝』第一弾は、平成10年から『中央公論』に連載した「英語達人伝説」をまとめたものである。英語という観点から日本近代史を読み直す企画として始まった連載だが、私の関心の偏りもあって、英語学習法に重点が置かれることになった。とくに、日本人の英語下手は文法や読解などの「型」を重視した受け身の学習のせいであるとの俗説に違和感を覚えていた私は、学習成功者の側から日本人の英語について考えてみたいと思った。
『列伝』の続編を書くにあたり、嘉納師範の英語について知ることができたのは、まさに偶然の賜物であった。合気道関連図書の英訳や「英語で『道』を語る」と題する放送大学の授業を担当し、その準備も兼ねて関連図書を読みあさったところ、いくつか師範の英語に関する記述に出くわした。これは調べてみる価値がありそうだと思い、何かに導かれるように研究室の書架に置いてあった庭野吉弘著『日本英学史叙説』(研究社、2008年)を紐解いて驚いた。なんと、師範の記述に一章が当てられていたのである。師範の英語について多くを明らかにしたのは、もっぱら庭野氏の功績である。同書および嘉納師範の伝記などから判断するに、師範は、幼少時の漢籍学習によって語学の素地を身につけ、英文日記をつけるなどの日々の努力を重ねつつ、東京外国語学校、開成学校、東京大学において本格的に英語を勉強したようだ。
講道館では有名な逸話かもしれないが、嘉納師範が工夫と研究を重ねつつ起倒流柔術の飯久保恒年師範の道場で稽古をしていたある日のこと、「不思議にも先生からは一本もとられず、しかも自分のかけるわざがまことによくきく」という体験をする。ふっと壁を乗り越えるこの感覚を、師範は他の技芸の獲得においても得ていたに違いない。英語学習について概論すれば、自分はこれだけの努力をしたと自慢しているような人は大した英語の使い手ではない。真の達人は、自分の努力すら意識しない三昧境にあり、黙々と稽古を続けるものである。
東京高等師範学校長時代の嘉納師範は、英語教育関係の英語論文を発表し、また英語教員大会において英語で演説を行った。細部まで神経の行き届いたその見事な英語については、拙著を参照していただきたい。また、柔道における「精力善用・自他共栄」の精神を世界に広めた師範の活躍の裏に、その卓越した英語力があったことも忘れてはならない。
ここで武道との類比において英語学習を語ることをお許しいただきたい。日本人が英語を苦手とするのは、日英両言語が構造的にまるで違うからである。日本語の中に不用意に持ち込まれた英単語の多くがたちまちおかしな和製英語に変質してしまうのを見ても、それが分かるだろう。日本語だけで日常生活が事足りてしまうのも、理由の一つに挙げることができるかもしれない。
したがって、日本語話者が英語を習得するには、発音や文法などの「型」の稽古を通じて基本を身につけ、徐々に英語が使えるようになるまで丁寧に稽古を続けていく必要がある。かつての英語達人たちが教えてくれているとおり、そこを通らなければどうにもならない。逆に、やってはいけないのは、基礎もできないうちからいい加減な英語でやり取りをすること。武道の初心者が乱取をしたら怪我をするし、変な癖がついてしまうと後々修正が利かなくなる。この辺りの稽古の呼吸は、武道の心得のある人ならば容易に理解できるだろう。
要するに、武道でも語学でも、上達のための基本的な法則がある。おそらく嘉納師範は、武道修業によって体得したその法則を英語学習に応用し、高度な英語力を身につけたものと考えられる。
最後に柔道にも語学にも共通する教育の精神に触れておきたい。昨年3月に最終講義を行ったが、直前に『列伝Ⅱ』を上梓したこともあり、英語達人たちの話を中心にして講義を行った。教育学研究科・教育学部の職を退くに当たり、どうしても紹介したい嘉納師範の言葉があった。「教育之事天下莫偉焉 一人徳教広加万人 一世化育遠及百世」。この世に教育ほど偉大な営みはない。一人の善導が万人に及び、一代を育成することが後々につながっていくのだから。そういう教えである。
柔道も語学も、型から技へ、さらにその応用へと技術の教授が重要であることは当然だが、その先には後代にまで続く人間の教育が見えていなくてはならない。大学の教授職こそ退いたとはいえ、師範の説いた教育の精神を忘れず、後進の育成に励みたいと思っている。
(東京大学名誉教授)









